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 津波で不明の娘、10年前書いた手紙が両親へ


0名無しさん 2014/03/04 05:21 0件 2415pv 

 「この手紙が届く頃は、お父さん、お母さんはもう孫がいるのかな?」――。



 東日本大震災の津波で行方不明となった岩手県大槌町臨時職員の娘(当時26歳)から今年1月、父親(59)と母親(51)宛てに1通の手紙が届いた。2004年に訪れた愛知県で、10年後に届くよう娘がしたためたもの。思いがけなく届いた手紙で娘の気持ちを初めて知った父親らは、「しっかり生きねば」と心に誓っている。

 娘は03年に高校を卒業し、バスガイドとして京都府のバス会社に就職。その後、大槌町に戻って町の臨時職員になった。震災時は町役場にいて、津波にのまれたとみられる。

 自宅は被害を免れ、両親も無事だったが、娘は見つからず、両親は約半年後に痛恨の思いで死亡届を出した。娘に町に戻ってほしいと思っていた父親は悲しみに打ちひしがれ、「いつ死んでもいいと思う日もあった。大槌に呼び戻さなければよかったと悔やんだ」。

 仕事を終えて帰宅した父親が、自宅のポストに白い封筒を見つけたのは今年1月12日。「どっかで生きてるのか」。まさかと思いつつ封を開けると、中には一日も忘れたことのないきちょうめんな字で書かれた便箋が2枚。バスガイドだった04年1月10日に、愛知県犬山市の博物館「明治村」で、手紙を10年間保管して届けるサービスを利用して出されたものだった。

 つづられていたのは、就職のため親元を離れた日のこと、バスガイドとして働く日々のこと、10年後の自分のことなど。震災の直前、娘は8年間交際してきた中学時代の同級生と婚約していた。「結婚して子供もいるんだろうと思うけど、一人身だったらどうしよう」という一文を見つけた母親は、「まさか10年後にいないなんて」とつぶやいた。

 「お父さんお母さんにはいっぱい、いっぱいお世話になったから、これからは、私が2人のお世話をするからね」。娘がこの手紙を書いていたことも、両親に対しそうした思いを抱いていたことも、父親らは知らなかった。「娘の親で良かった。娘に笑われねえように生きねえと」。震災から3年を前に届いた娘からの手紙を、父親らは心の糧にして生きていこうと思っている。

ソース
http://news.livedoor.com/article/detail/8590322/



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