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 斉藤佑樹の覚悟


0名無しさん 2013/11/20 21:13 0件 2144pv 

最強の24歳になります――。

 斎藤佑樹が札幌ドームのお立ち台の上でそう言ったのは、去年の6月6日。斎藤、24歳の誕生日のことだった。

しかし皮肉なことに、“最強の24歳”になったのは田中将大だった。去年の11月1日、24歳になってからの1年間、田中は24連勝をマークし、一度も負けることはなかった。まさに最強の24歳である。

2006年の夏、その田中に投げ勝って甲子園で“最強の18歳”となったのは斎藤だった。しかし、最強の24歳にはなれなかった。24歳の最初の日に勝って以来、彼に公式戦での白星はついていない。

田中の存在について改めて問われた斎藤は、こう答えた。

「マー君のことを訊かれたら、『すごいな』『これでメジャーに行くのかな』とか、みなさんと同じようなことしか答えられません。高校の時のこととか、ライバル云々とか、そういうコメントはしないと思います。それは、いつか追いついて、追い越したいと思っているからです。勝負は今だけじゃないんだって、心のどこかで思ってます。24歳、25歳の現時点では、ピッチャーとしてマー君の方が上です。でも、30歳になったら、40歳になったらどうかということは誰にもわかりませんし、そのための大学4年間だったと思っています。そこには僕、けっこう自信を持ってるんです」

 斎藤佑樹のプロ3年目のシーズンが終わった。

 一軍での登板は1試合。10月2日の札幌ドーム、オリックス戦での4イニングスのみ。その試合で斎藤は負け投手となって、プロ3年目、0勝1敗、防御率13.50という数字が残った。

 それは、二軍で結果を残しての昇格ではなかった。二軍で残してきた数字は1勝3敗、防御率8.61。しかも、その約二週間前、二軍の試合で先発して3回を投げ切ることができず、9失点でノックアウトを喰らっている。それでも斎藤は、一軍のゲームで先発した。

 試合後、斎藤に「一軍で投げたことが栄養になったのか」と訊いた。すると、彼は「投げてみてマイナスになることは一つもなかった、恐怖感もなかった、これから投げたくなくなるなんていうこともなかった」と、立て板に水の如く答えている。ということは斎藤は投げる前に、投げてマイナスになるのかもしれない、恐怖を感じるのかもしれない、投げたくなくなってしまうのかもしれないと心配していたのだろうか。

「……うん、心配、してましたね。心配してました。だって、やっぱり投げたくないという気持ちもありましたし、100人が100人、投げるべきだという状況でもなかった。投げて打たれて、ここまでやってきたことを信じられなくなるのも怖かったし……でも、そんな中で栗山監督が『投げてみて』と言ってくれました。あの日のマウンドはそういう場所だったので、そこには何か、僕が進むべき方向を見出せる、意味深いものがあるんじゃないかと思ったんです。もしかして、投げたら何かスイッチが入るかもしれないという兆しも感じていましたし、いずれは通らなければならない道ですから、それなら通ってみようと……どんなことが待ち受けていたとしても、それも僕の人生ですから」

 覚悟を決めて投げた、78球──。

 バファローズ打線を相手に、シングルヒットを5本浴び、四死球を6個与え、失点は6。

 あの日の一軍のマウンドには、何があったのだろう。

「それが、何もないんです。何もなかった……あらかじめ準備をしていったから、何事もなく済んだのかもしれません。信念を強く持って、何があっても今までやってきたことの延長線上だから、たとえ悪くても、どれだけボコボコに打たれても、何も変えないようにしようと心に決めて登板したんです。その結果、良くも悪くもなかった。投げてみてダメージが残ったわけでもないし、すごくいい感触が残ったわけでもない。今、思えば、何もなかったことが、とてもプラスだったんじゃないかと思います」

 斎藤はあの日に投げたボールをほとんど覚えていない。

「初球……何を投げましたっけ。インコースですか? ストライク? いや、全然思い出せないんですよ。あの試合、ほとんど記憶になくて、なぜだろう、何も覚えてないな。あの日、何を着ていたかな。けっこう、着ていた服は覚えてるんですけど、どんな服を着ていたかも思い出せない。ああ、試合が終わってから武田勝さんに誘っていただいて、食事をしました。それは覚えてます。『無事に投げられてよかったね』と言って頂いて、一緒に鉄板焼きを食べました(笑)」

 何事もない、平穏無事な一日。

 おそらくは、そういう日になることを祈っていたからこそ、細かいことを記憶に留めたくなかったのかもしれない。避けて通れない一日を終えたこの日の帰り際、10月に宮崎で行なわれる若手中心のフェニックス・リーグに向けて課題を問うと、斎藤はこう言って笑った。

「宮崎では、“脱力”がテーマですね」

 2013年10月17日。

 まばゆい陽射しが照りつける、台風一過の宮崎。斎藤はこの日、みやざきフェニックス・リーグの韓国・ハンファ戦に先発していた。

 ヨシッ。

 一球ごとに、斎藤の声が聞こえる。ボールをリリースした瞬間、腹からの声が響く。

「そんなに出てます? 僕、声はそんなに意識してないんですけど……おそらく、いい感じでボールが指にかかったときに、『ヨシッ』って声が出てるんだと思います(苦笑)」

 体のどこかに特別な力を入れることなく、それでいてボールに最大の力を伝えることができるフォームの模索が、この秋の斎藤の狙いだった。

「けっこういい感じできてると思うんですけど……2月から始まって、6月に投げ始めて、ずっと腕が振れない、振れないと思っていたんです。でもここにきて、この1、2カ月前からかな。ようやく腕が振れてきてるなという感覚があるんですよね。ビデオを見ても、だいぶ腕は振り切れていると思うんです。ただ、黒木(知宏、投手コーチ)さん、中嶋(聡、バッテリーコーチ)さん、中垣(征一郎、トレーニングコーチ)さん、周りのみんなは、まだ腕が振れてない、振り切れてないという感覚があるらしくて、そこはまだ一致してません。それが、去年の日本シリーズの頃の僕と比べて振れてないという話なのか、それとも一般的に理想のフォームを求めるならもっと振れるはずだという話なのか、そこがまだ自分の中でつかめないんですよね」

 肩、ヒジを痛めたピッチャーは、どこかで怖さを吹っ切って腕を振る勇気が求められる。しかしどれだけ勇気を振り絞っても、意識下で体がブレーキをかけてしまうと、腕は振れない。しかも本人は腕を振っているつもりでも、ビデオで見るとやはり振れていないというケースは珍しくない。

 そんなギャップが焦りを呼び、腕を振ろうと意識してしまえば元の木阿弥だ。なぜなら、腕を振ろうとして振ってしまうから、肩、ヒジに負担が掛かるのであって、腕を振ろうという意識を持たず、全身の力をバランスよく使って、腕が振れなければならない。これがじつにもどかしい作業なのだ。斎藤は言う。

「腕が振れはじめたなと思った頃から、いろんなリズムで投げてみました。グローブの位置は下げた方がいいのか、上げた方がいいのかとか、右ヒザは曲げた方がいいのか、曲げるとしてもどう曲げるべきなのか……フォームを試行錯誤しているうちに、いろんなことをやり過ぎてしまったんです。だから今は、同じフォームで投げることを意識しています。そのフォームを体に覚えさせたい。その結果、腕を振ろうとしていないのに138キロが142キロになれば、腕が振れているということになる。怖いのは、スピードを求めて、腕を振ろうとして、力感を求めてしまうことです。バチーンと投げたら、力感はあるんですけど、バッターの反応もイマイチだったり、スピードガンの数字も意外に出ない。スライダーにしても、ピュッと軽く投げた方がバッターがクルンって振ってくれたり、詰まったりするんです。だから、リリースの力感を求めてはいけない。ホームランを打てたときって、手応えがない、バットが抜ける感覚があるんですけど、ああいう感じだと思います。要は、体がしっかり動いてくれれば、力感なく腕を振り抜けると思うんです。頑張ってる感を出してしまうと、ダメなんです」

 しかし、力を抜くのは思うより難しい。斎藤はこの秋、フェニックス・リーグで3試合に登板した。

 10月10日のオリックス戦は6回途中まで投げて、被安打10、失点11。
 10月17日の韓国・ハンファ戦は6回を投げて、被安打6、失点3。
 10月26日の広島戦は5回を投げて、被安打10、失点4。

 いいリズムで投げていたかと思えば、突如、乱れる。ホームランを打たれた後に連打を浴びたり、エラーやフォアボールでランナーを溜めると歯止めが利かなくなる。それは、斎藤の持ち味である駆け引きや粘り、微妙なタイミングのズレを呼び起こす段階には至っていないからだろう。

 力を入れずに投げたら、強いボールは投げられない。

 だから、つい力を入れて投げてしまう。

 でも、力が入るとフォームがブレるし、肩に負担もかかる。

「6割くらいの力の入れ具合から入って、7割、8割くらいで投げられているうちはいいんですけど、これが9割までいってから打たれると、カッとなって10割になっちゃう。力が入り過ぎちゃうんです。その瞬間、制御が効かなくなってしまう。いったん力が入ると、もう一度、力を抜いて投げられなくなるんですよ。10割から、6、7割には戻せなくなってしまうんです。そこのところも含めて、脱力はホント、難しいと改めて感じています」

 それでも斎藤は、取り組んできたことを信じて前を向く。

 力を入れなくても、力感を求めなくても、このフォームで投げ続ければスピードもどんどん上がっていくと信じている。

「去年の日本シリーズで147キロを投げたんですけど、あれで肩を痛めてしまいました。だからこそ、力を抜いて、肩に負担の掛からないフォームでも、同じ147キロを投げたいんです。同じフォームで投げていたら、そのうち肩のストッパーも外れて、スピードが出てくるんじゃないかと思っているんです。やっぱり、真ん中に行ってもバッターが詰まるとか、まっすぐとわかってるカウントなのにバッターが差し込まれるとか、そういうボールを投げないと……そこは捨てきれないんですよね。そういうピッチングをイメージすると、ワクワクしてきます(笑)」

 最強の24歳にはなれなかった。

 しかし、“最強の山”を上るルートはひとつではない。

 誰が何を言おうとも、斎藤佑樹は何ひとつ、あきらめてはいない。

ソース
http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/2013/11/12/post_312/





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